だんだん駅巡りが進むにつれて、函館本線の山線と呼ばれる小樽〜長万部間で未訪問駅の数がわずかになってきました。そこで、残っている7駅中5駅に訪問する日程を作ろうとしたところ、特に倶知安以南が閑散ダイヤであることから難航し、結果として二股から蕨岱までの6kmを歩くことになりました。もちろん、「一日散歩きっぷ」を購入しています。
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札幌を6時53分に発ち、臨時停車駅の張碓以外の各駅に停車して46分後、小樽に着きました。721系と731系を連結した6両編成で、どうやら青春18きっぷの期間中で日曜日だったので、快速「ミッドナイト」からの乗り換えらしい旅行者がずいぶん乗っていました。
小樽ではほとんどが改札へ向かいましたが、それでもかなりの人がホームに残っていて、早めの列車を選んでいて正解だと思いました。真っ先に1両編成の停止表示板付近に並んでおいて席を確保します。ここから二股までの乗車で、かなりの混雑が予想されるので711系で運転される8時3分着の列車に本当は乗りたいところでしたが、座ることの方を優先しました。 単行で運転されたキハ150は、軽快に20パーミルの勾配を通過してゆきます。 |
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倶知安ではもとより14分の停車がありますが、寝台特急「北斗星ニセコスキー号」が大幅に遅れて9時40分ころに到着(正式な時刻は8時29分)したために、蘭越発小樽行き普通列車1931Dが先に到着していたところ、ホームを空けるのにいったん車庫の方へ向かう処置が取られていました。そんなこんなもあって、列車は13分遅れて倶知安を発車しました。 |
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もとのダイヤが蘭越で10分近くの運転停車という設定だったので、すっかり定時運転に戻っていました。札幌を出てから4時間ほど経って二股に11時5分に着きました。交換設備が取り外されている貨車駅ですが、中央にドアがある珍しいタイプのもので、雰囲気だけなら普通の駅舎に近いものがあります。
早速、となりの蕨岱駅までの6kmを国道5号線に沿って北上します。 |
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このあたりは知来(ちらい)という地名になります。3kmほど歩くと見えてきたのが道路防災祈念碑です。休憩のための駐車スペースを兼ねたもので、この横には1993年に発生した、今でも忘れられない北海道南西沖地震によって被害を受けた日本海側にある国道229号線の写真などが貼ってありました。
いつものようにゲームをしながらラジオを聴いていた夜10時頃、札幌では珍しい大きな揺れを感じました。ラジオは生放送で、ちょうど聴取者に電話をかけて話すコーナーの最中で起こり、あまりにも激しい揺れからDJは聴取者に大丈夫かと聞き始めるうちに番組はニュースに切り替わり、震源はどこか、被害はどうなのか、という話になりました。その後ガソリンスタンドが燃えている、津波がやって来そうだ、という情報が夜通し伝えられて寝られなかったのですが、翌朝の奥尻島の変わり果てた映像で大変な衝撃を受けました。現在では1998年に復興宣言が出されて元の生活に戻りつつあるようですが、この石碑を見て色々思い出されました。 |
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石碑から少し歩いたところが誇線橋です。ここまで来るとだいたい半分くらいになります。おそらくこの道を歩いていこうという人は皆無に近いでしょうから、歩道が整備されているわけでもありません。それほど交通両が多いわけでもないですが、私の横を通過する車両の中には間を開けて走ってくれる車とそうでない車とがあります。北海道の交通マナーの悪さ、というのはここから来ているような気もしています。 |
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4km地点付近から、長い登り坂となって体力をさらに奪っていきます。マラソンでは上りよりも下りの方が走りづらいと言いますが、徒歩の場合だと上りも下りも同じような感じがします(笑)。 |
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坂を登りきって、下り始めたところに5km地点にあたる、函館から119kmを示す標識がありました。これから向かう蕨岱駅の周辺は人家がほとんどなく、秘境めいたイメージがあるかも知れません。しかし、東の方を見ると冬なので分かりませんが農場があり、小学校を中心とした集落を見ることができます。 |
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そして、6km来たことを表す120km地点の標識です。左に青く塗られた貨車の蕨岱駅が見えてきました。もし6kmという計算が間違っていたらどうしようと思っていたところで、ようやく安堵の時が訪れました。 |