19.1日散歩きっぷの旅 X 〜ノロッコ号で行く、北の桜の名所・塩狩峠〜 <2>

この周辺を歩く人が、必ずと言っていいほど最初に寄るのが歩いてすぐのところにある三浦綾子記念館です。こちらは旭川市の豊岡に建てた旧宅で、有名な小説「塩狩峠」ほか、初期の作品を執筆した家でもあります。その後教会として寄贈されましたが、老朽化のために取り壊されることになったとき、保存のうえ塩狩峠に移築することが決まり、現在に至っているものです。中は撮影禁止のため写真がありませんが、古い家具が置いてあったり、はじめ雑貨店を経営していたことから駄菓子があったりして、見学者から懐かしいとの声があちらこちらで聞こえました。

記念館は、小高いところにあります。ベランダから駅が見渡すことができ、ここに住めたとしたらファンにはたまらないかも知れません。

記念館から和寒向きに歩くと、塩狩峠の標があり、その横に殉職した長野政雄氏の石碑があります。小説も実話を描いたものですが、1909年に和寒側から登ってきた列車の補機の連結器が外れ、これによって登る力を失った列車が坂を下り暴走する事故があり、「この速度なら自分が止められる」として乗り合わせた前出の長野氏が線路に飛び出し、自らの命を投げ打って乗客の命を救った、とされています。この先は、小説を参照とさせていただくことにします。

10時54分ころ、和寒側から特急「スーパー宗谷」2号が高速で通過してゆきました。先ほどの事故を考えると、補機を連結してやっとの思いで登っていた峠を、高性能のディーゼルカーがものともせず登ることができる、と当時は果たして想像できたものなのでしょうか。

発車の5分ほど前にホームに戻ってきました。発車の3分前に汽笛を3回鳴らすことになっていますが、乗客はあまり戻ってきませんでした。ほとんど、温泉へ向かってしまったのでしょうね。

ホームのそばにも桜が植えられていますが、こちらはまだ開花の兆しが見えません。来年こそは、満開の時期に来たいと思いたくなります。

11時5分に発車となり、先ほど登ってきた線路とは対照的に、ほぼまっすぐ峠を下ってゆきます。やがて、進行方向の左側に三笠山自然公園が見えてきます。9日に桜祭りが行われたようで、確かに桜色は見えますが、咲き具合はどうだったのでしょうか、と塩狩峠を見ると心配に思えます。

和寒駅で下車し、3年ぶりの訪問になりました。11時からバーベキューカーにてバーベキューができるようになり、すばらしい匂いとともに乗っているのが昼時で空腹気味の私には辛かったので、という理由もあったのですが、ここでの1時間余りでは何も買わずに次の列車を待っていました。

以前よりもホームが小奇麗になったような印象のある駅に、快速「なよろ」1号はキハ40の4両編成で到着しました。車掌が乗務していたので、整理券は発行されず、ワンマン運転がほとんどの線区でありながら肉声の放送に違和感を感じながら乗車していました。

剣淵に停車したのち、士別に到着したところで下車しました。まったくの初訪問の地で1時間半ほど、昼食も取りつつ市内を散策していました。

13時31分、名寄行きの普通列車で名寄を目指します。普通列車ですが、名寄まで3つの駅を通過します。宗谷本線では、純粋に各駅に停車する列車が少ないので、訪問には頭を悩ませる駅が数多くあります。

名寄に到着しました。これより先は未乗ですが、しばらくはこのまま放置することにして、旭川へ引き返すことにしました。

快速「なよろ」8号は3両編成での運転で、ワンマンではなく車掌が乗務しました。なお、3両のうち2両は塩狩駅からの団体用となって締め切りとなったため実質は1両で、かなり混み合っていました。比布で6分の停車があり、この写真を撮影しておきました。

列車は旭川駅の4番ホームに到着し、地下通路からそのまま有人の改札を通り抜けました。駅の地下はステーションデパートとして、お土産を売っていたり、飲食店が入っていたりします。

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