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吉松では、7分の待ち合わせで観光列車である「しんぺい」102号に乗り換えます。しかし、先述の通り月曜日にも関わらず満席となっており、指定券を持っていない人は1両で運転される車内のどこかに立っていることになります。一応のこと、車両の中央にフリースペース、この場合言い換えれば自由席扱いのカウンターがありますが、すでに埋まっていたので列車の先頭から景色を眺めることにしました。 |
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この区間は、5年前に都城から熊本へ抜けるときに乗った、今はなき急行「えびの」で越えて以来になります。その急行も人吉までは各駅に停車しますが、この列車のように観光案内はほとんどなかったので、今回が実質初めてに近いながらも、ところどころの景色は覚えていました。
さて、山神第2トンネルの前には『復員軍人殉難碑』と書かれています。太平洋戦争の頃、復員軍人を屋根に登るほど多数乗せた列車がトンネル内で勾配を登りきれずに立ち往生し、SLからの煙などに耐えかねて避難しようとしたところ列車が坂を下り始め、まもなく家庭に戻るはずだった50名余りの命が犠牲になりました。痛ましいとしか言いようのない事故ですが、このトンネルからは人の声がする、と言われているそうです。 |
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当時の難工事を思わせるように、急な勾配に加えてカーブやトンネルが続きます。それでも、ワンマンの運転士は慣れ過ぎているくらいに慣れた手付きで、要所では減速したりあるいは止まったり、自動放送のスイッチを押していました。 |
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観光列車においては、各駅で数分の停車時間があります。まず最初の駅は真幸駅で、この旅では唯一宮崎県に踏み入れたところです。 |
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真幸という名前の縁起の良さから、訪れる人が増えてきたのは周知の事実となっています。かつては乗客の安全や、仕事の安全を願って設置されていた『幸福の鐘』があります。この付近一帯は、1972年に起こった大規模な土砂崩落によって駅舎を含めて集落を襲い、それ以降人口が急減したようです。この駅は、宮崎県では最初にできた駅にあたり、意外な気もします。 |
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続いて、宮崎県を抜け熊本県に入ってすぐのところにある矢岳駅に停車し、ここでも5分ほどの停車時間がありました。ほとんどの人が降りてきますが、本当に1両でこれだけの人を乗せてきたのか、とやや大げさな表現をしたくなるほどの人が外の空気を吸っていました。 |
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この駅の見ものとしては、古風な駅舎から少し歩くとある人吉市SL展示館です。ちなみに、入口のシャッターを開けたり、中の電気を点けたりしていたのは運転士でした。 |
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展示館と言うより、倉庫のような建物の中には、この区間で活躍したD51形機関車(170号機)が保存されています。当初はもう1機保存されていましたが、「あそBOY」(熊本〜立野〜宮地)の牽引のために復活しており、もともと2機保存されていたところに1機が抜けた状態になっています。写真はありませんが、この後熊本を通るときに、運転所で入れ換え作業をしている姿を見ることになりました。 |
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残念ながら天候が良くなく、宮崎方面に見える山地は見えませんでした。そんな中、ループ線を通って行き止まりの線路に入り、スイッチバックをして大畑(おこば)駅に入ります。目視しても分かりませんが、止まったときに運転席から前を見ると、先ほど通ってきた線路があります。 |
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そして、停車時間を利用して大畑駅の駅舎に入ります。北海道の釧網本線・北浜駅ほどのおびただしい数ではないものの、旅人の残した定期券や切符などが壁に貼り付けられています。この駅は、大畑の集落からは大きく離れたところに位置しており、非力なSLが矢岳を越えるため、ループ線やスイッチバックの設置という特異な線形となってこの位置に駅を作ったようです。 |